「街ひとつが、密輸で成り立っている」
そう聞くと、映画の中の話のように思うかもしれない。だが南米には、何十年ものあいだ”密輸の都”と呼ばれてきた街が実在する。
パラグアイの都市、シウダー・デル・エステだ。
人口はおよそ30万人。パラグアイで2番目に大きい街に過ぎないが、この街を行き交う商品の規模は、南米有数の商業・再輸出の拠点へと膨れ上がった時期がある。世界的な自由貿易地帯として名を知られる一方で、偽造品と密輸の中心地という、まったく逆の異名も持つ街だ。
いったいなぜ、こんな街が生まれたのだろうか。
南米の内陸に浮かぶ、小さな国

まずはパラグアイという国から見ていこう。
パラグアイは、ブラジル、アルゼンチン、ボリビアに囲まれた南米の内陸国だ。海に面していない国で、首都はアスンシオン、人口はおよそ700万人。
そのブラジルと接する東側の国境沿いに、今日の主役であるシウダー・デル・エステがある。
世界的な観光地であるイグアスの滝にも近く、多くの観光客が訪れる街だが、国際的には長らく「南米最大の密輸都市」という呼び名のほうがよく知られてきた。
この街は、最初から密輸都市だったわけではない

シウダー・デル・エステは1957年、当時パラグアイを統治していた独裁者アルフレド・ストロエスネルの指示によってつくられた街だ。
建設当初につけられた名前は「プエルト・フロール・デ・リス」だったが、まもなく大統領自身の名にちなんで「プエルト・プレジデンテ・ストロエスネル」と改名された。自分の名前を街につけるほど、政権にとって象徴的なプロジェクトだったということだろう。その後、1989年の政変を経て国民投票が行われ、現在の「シウダー・デル・エステ(東の街)」という名前になった。
ストロエスネルは、ブラジル国境に大規模な商業都市をつくるため、税金を引き下げ、通関手続きを大幅に緩和した。その結果、安価な海外製品が大量に流れ込むようになり、合法的な貿易とともに、密輸や非公式な取引も急速に拡大していった。
一部の研究者は、ストロエスネル政権がこうした経済的な利権を政治勢力と分け合うことで、自らの権力を維持していたと分析している。独裁政権は終わったが、当時つくられた経済構造は、今もこの街の姿に影響を残している。
橋をひとつ渡るだけで、値段がまったく変わる

シウダー・デル・エステと、ブラジル側の国境の街フォス・ド・イグアスは、「フレンドシップ・ブリッジ(Puente de la Amistad)」という一本の橋でつながっている。
車なら数分で渡れる距離だ。
しかしこの橋をひとつ渡るだけで、商品の値段は大きく変わった。税金の低さのおかげで、電化製品や酒、タバコ、衣類など、さまざまな商品がブラジル側よりずっと安く手に入ったからだ。
1990年代から2000年代にかけては、「サコレイロ(sacoleiro)」と呼ばれる担ぎ屋たちが、ブラジル各地からバスに乗ってこの街を訪れた。彼らは安い商品を大量に買い付け、ブラジル各地の市場や露店で転売しながら生計を立てていた。
当時は国境を行き来する人があまりに多く、フレンドシップ・ブリッジは毎日人であふれ、シウダー・デル・エステは南米でもっとも活気のある国境市場のひとつになっていった。
一つの街が、国の経済に匹敵する規模を動かした

この街を行き交った商品の規模は、想像をはるかに超えていた。
2011年には、パラグアイから周辺国へ合法的に再輸出された商品の価値だけで、約50億ドルに達したとされる。ここに密輸として流れた商品まで含めれば、実際の規模はさらに大きかったと考えられている。
研究機関や国際機関のなかには、時期によって幅はあるものの、シウダー・デル・エステを中心とした不正取引の規模を年間およそ100億〜150億ドル程度と推計するところもある。
小さな国境の街ひとつが、一国の経済に匹敵するほどの資金を動かしていたことになる。
世界各地から人が集まる市場

シウダー・デル・エステにいるのは、パラグアイ人だけではない。
ブラジル人はもちろん、レバノン、シリア、台湾、韓国など、さまざまな国から来た商人たちがこの街に根を下ろし、商売を続けてきた。
扱われる商品もじつに幅広い。スマートフォンや電化製品から、酒、日用品、衣類、バッグ、スポーツ用品まで、ないものがないほどだ。
何ブロックにもわたって続く商店街や市場では、今も数え切れないほどの人々が、小さな店や露店を営みながら生計を立てている。
取り締まりを強めたら、かえって危険になった

2000年代以降、ブラジル政府は密輸の取り締まりを大幅に強化した。
しかし現実は、思うほど単純ではなかった。
大規模な犯罪組織だけでなく、生計のために荷物を運んでいた小規模な商人たちまで一緒に取り締まりの対象となり、一部は正規の国境を避けて、パラナ川沿いの非公式な船着き場を使うようになった。
安全に橋を渡っていた人たちが、より危険な経路を選ばざるを得なくなったのだ。
このため専門家たちは、単純な取り締まりだけでは問題を解決できず、国境地域の住民の生活まで含めて考える必要があると指摘している。
観光地と、影の経済が同居する街

シウダー・デル・エステは、美しい自然と巨大なショッピングモールが並ぶ観光都市でもある。
だが同時に、ブラジル・パラグアイ・アルゼンチンが接する「トリプル・フロンティア(三国国境地帯)」の中心に位置しているため、長年にわたって密輸や偽造品取引の拠点としても知られてきた。
ひとつの街のなかに、観光客やショッピング客と、非公式な経済活動が同居する、非常に独特な空間だと言える。
小さな街が映し出す、大きな現実

人口およそ30万人。
一見すると、どこにでもありそうな国境の街に見える。だがこの街は、数十年にわたって南米最大級の非公式貿易の拠点であり続けてきた。
シウダー・デル・エステを見ていると、「密輸とは単なる犯罪だ」という一言では片づけられない現実に突き当たる。
国境をはさんだ価格差、数万人の暮らし、国家の税制、そして独裁政権が歴史のなかに残した遺産。
そのすべてが重なり合った結果として、今日、世界でもっとも独特な国境の街のひとつが生まれたのだ。
文章:My Language Trip
イラスト:My Language Trip (AI-assisted)