先端技術は世界を驚かせているのに、中国の人々の消費はなかなか上向いてこない。技術の成長だけでは説明できない、もうひとつの中国がそこにある。
口座にお金があるからといって、人は必ずしもそのお金を使うわけではない。今すぐ欲しいものがあっても、医療費が心配なら先送りする。子どもの教育費がどれくらいかかるか分からなければ、旅行より貯金を選ぶ。住宅価格がこの先も下がりそうなら、新しい家具を買うより現金を手元に残しておくほうが安心できる。
中国経済を調べているうちに、私はこの単純な事実にあらためて気づかされた。
中国は世界有数の経済大国だ。人口も多く、大都市には中間層も少なくない。街には高級ショッピングモールが立ち並び、世界的な企業も中国市場を決して軽く見てはいない。
ところが、ひとつ奇妙な点がある。
経済の規模に比べて、人々の消費がなかなか大きくならないのだ。
最初は、まだ所得が十分ではないからだろうと思っていた。あるいは、中国人はもともと貯蓄を重んじる文化があるからだと、単純に受け止めていた。
しかし調べれば調べるほど、問題は少し違うところにあった。
中国には、お金がない人だけが多いわけではなかった。お金があっても、簡単には使えない理由があったのだ。
そしてその理由をたどっていくと、中国の消費問題は結局、ひとつの問いに集約された。
人々は今よりも良い明日を、どれくらい信じられているのだろうか。
内需が弱いというのは、貧しいという意味ではない

私たちはふつう、所得が増えれば消費も自然に増えるはずだと考える。人々がお金を使えば企業の売上が伸びる。企業は生産を拡大し、人をさらに雇う。そうして増えた所得がまた消費に回り、経済は好循環していく。
経済の教科書でおなじみの流れだ。
だから、人口が多く経済規模も大きい中国であれば、内需市場も当然大きくなるはずのように見える。
しかし現実は、予想とは違っていた。
中国は世界トップクラスの経済規模を持ちながら、経済に占める家計消費の割合はおよそ40%程度にとどまるとされている。アメリカの消費割合が70%前後であることを考えると、その差はかなり大きい。
どちらも経済大国でありながら、経済を動かす仕組みはまったく違うということだ。アメリカ経済が消費者の財布に大きく依存しているとすれば、中国経済は長いあいだ、投資と生産のほうに、より多くの力を注いできた。
だとすれば、あれほど急速に成長してきた中国経済のなかで、個人の消費だけがなぜ同じ速さで大きくならなかったのだろうか。
国の経済は大きくなったのに、個人の安心はそれほど大きくならなかった

中国は長いあいだ、投資と輸出を中心に成長してきた。政府は道路をつくり、高速鉄道をつなぎ、工場と都市を建設した。企業は世界市場に製品を売り込み、その過程で中国は短期間のうちに「世界の工場」へと駆け上がった。
このやり方は、経済を急速に大きくするうえでは、非常に効果的だった。
問題は、経済全体の成長と、一人ひとりが実感するゆとりが、必ずしも同じ速さで大きくなるわけではないということだ。
経済が成長する中で賃金も上がったが、増えた資本のかなりの部分は、産業や設備、不動産やインフラに再び投じられた。国全体の生産能力は急速に高まったものの、すべての人が同じだけ生活が安定したと感じたわけではなかった。
最近、中国がAI、半導体、電気自動車、電池といった先端産業に力を入れているのも、同じ構図で見ることができる。
これらの産業が育てば、国の競争力は高まるかもしれない。良い雇用も生まれ、新しい企業も登場する。
しかし、国が技術大国になることと、ふつうの家庭が今月の消費を増やすことのあいだには、思っているより大きな距離がある。
経済ニュースには何十兆円もの投資や世界シェアの数字が登場するが、一人の暮らしにとって大事なことは、もっと具体的だ。
来月も仕事があるか。子どもの教育費をまかなえるか。病気になったとき、医療費を心配せずに済むか。
結局、経済規模が大きくなったという事実だけでは、人の財布を開かせることはできなかった。
そして、所得が十分でないことよりも大きな問題が、別にあった。稼いだお金を使ったあとの未来が、不安だということだった。
消費は、政府が計画すれば増えるというものではない

最初は私も、単純に考えていた。政府が消費を増やしたいなら、人々にもっとお金を配るか、消費を後押しする政策を打ち出せばいいのではないか、と。
しかし消費は、道路をつくったり工場を建てたりするのとは違っていた。
政府は予算を決めて鉄道を建設できる。企業に補助金を出して特定の産業を育てることもできる。工場をいくつ建てるか、どの地域を開発するかを計画することも可能だ。
しかし、人に対して「安心してお金を使え」と命令することはできない。
欲しいものがあっても、将来が不安なら支払いを先延ばしにする。口座に余裕ができても、この先も収入が続くという確信が持てなければ、まず貯金に回す。
そのとき私は、消費というものを少し違う目で見るようになった。
消費は、今持っているお金の大きさよりも、お金を使ったあとも大丈夫だという確信から始まる。
今日使ったお金が、明日の不安になって返ってこないという確信。病気になっても助けてもらえる、老後がまったく崩れてしまうことはない、職を失っても立ち直れる、という信頼。
その信頼があってはじめて、人は財布を開く。
そして中国では、その不安がもっともはっきりと表れている場所があった。
不動産だ。
住宅価格が揺らぐと、人々は給料より資産を先に見るようになった

中国において、家は単なる住まいではない。ひとつの家族が積み上げてきた財産のかなりの部分が入った資産であり、老後への備えであり、時には結婚や家庭を築くための条件にもなる。多くの人にとって、家は未来を守ってくれる、もっとも頼れる安全網だった。
ところが、その安全網が揺らぎ始めた。
不動産市場が低迷し、住宅価格への期待が弱まると、人々は今もらっている給料よりも、自分が持つ資産の価値のほうを心配するようになった。
給料がすぐに減らなくても、住宅価格がこの先も下がり続けそうなら、気持ちは貧しくなっていく。昨日まで頼りにしていた財産が、明日どれだけの価値を持つのか分からない。こういう状況では、新しい車や家具を買うより、現金を手元に残しておくほうが理にかなっているように感じられる。
消費を決めるのは、今の所得だけではないからだ。自分の持つ資産が安全だという感覚、これからも今の生活水準を保てるという確信も、同時に働いている。
結局、不動産への不安は家の中だけにとどまらなかった。飲食店やショッピングモール、自動車販売店や旅行の計画まで、一緒に冷え込ませてしまった。
しかし、住宅価格がまた上がれば、みんながすぐに財布を開くようになるのだろうか。
それだけでは、おそらく足りない。
家の向こうには、もっと古くからの不安が残っているからだ。
人々に必要だったのは、お金より「安心できる未来」だった

中国では、医療費や教育費、老後への備えを、個人や家庭が重く感じているケースが少なくない。
もちろん、公的な制度がまったくないわけではない。ただ、制度が存在するという事実と、人々がその制度を十分に信じているかどうかは、別の話だ。
大きな病気にかかったときにどれだけのお金が必要になるか、子どもをきちんと教育するにはどこまで備えればいいか、退職後も今と同じような暮らしを続けられるか──こうしたことに確信が持てなければ、人は自分の力で安全網をつくるしかない。
その安全網が、貯蓄だ。
余裕ができても、まず口座に入れる。予想外のことが起きたときに家族を守れる、もっとも確実な方法だと考えるからだ。
外から見れば、必要以上にお金を使わないように映るかもしれない。でも本人からすれば、消費を先送りすることのほうが、むしろ合理的な選択でありうる。明日何が起きるか分からないのに、今日の楽しみのためにお金を使い切ってしまうことのほうが、危険に感じられるからだ。
結局、人を動かしていたのは財布の中のお金の量ではなかった。お金を使ったあとも、自分の暮らしが崩れないという確信だった。
それなら、消費クーポンを配ったり、割引キャンペーンを増やしたりすれば、この不安を変えることができるのだろうか。
クーポンは物を買わせても、未来を信じさせることはできない

中国政府が消費クーポンを配ったり、自動車や家電製品の購入を支援したりするというニュースを、時おり目にする。
こうした政策は、たしかに短期的な効果を生むことができる。もともと冷蔵庫を買い替えるつもりだった人は、支援金があるタイミングで購入できる。旅行や外食を迷っていた人も、割引があれば一度くらいは財布を開けるかもしれない。
しかし、クーポンの効果には限界がある。
人々が消費しない理由が、単に今月お金が少し足りないからというだけなら、クーポンは解決策になり得る。だが問題の中心に将来への不安があるなら、話は変わってくる。
一時的に手に入ったお金を使うより、別のお金を切り詰めて非常用に残しておくこともできる。支援を受けてひとつ買い物をしたあと、また消費を減らすこともできる。
クーポンは消費のタイミングを少し前倒しにすることはできても、人の心の中に安心感をつくり出すことまではできない。
クーポンより必要なのは、暮らしが崩れないという確信だ

だから、中国の内需問題は、消費を呼びかける掛け声だけでは解決しにくい。
家計が成長の果実をもっと実感できる所得構造、財産のほとんどを一軒の家に頼らなくてもいい資産構造、そして病気になっても年を取っても暮らしが崩れないという確信──これらが同時に必要なのだ。
人々にもっと使ってほしいと説得する前に、まず問うべきことがある。
彼らはなぜ、お金を手元に残しておかないと不安なのか。
数字だけでは見えてこない中国

経済を勉強していると、どうしても数字に目がいく。GDPがどれだけ伸びたか、成長率は何パーセントか、消費は前年よりどれくらい増えたか。私も最初は、中国の消費を数字で理解しようとしていた。
しかし資料を見続けるうちに、結局は数字の向こうにいる人が見えてきた。一度の入院費を心配する人。住宅価格がさらに下がるのではと不安な人。子どもの将来のために、自分の消費を後回しにする人。
彼らの選択は、統計表の中では「消費の低迷」というひと言で片づけられてしまう。
でも、一人の人生においてそれは、欲がないからでも、お金の使い方を知らないからでもない。未来に備えるために、今日を少しだけ先送りする選択に近い。
考えてみれば、これは中国だけの話でもない。私たちも、将来が不安なら旅行を先延ばしにする。欲しいものをカートに入れたまま、何日も迷う。口座の残高を確認したあと、「今すぐ必要なものじゃないし」と自分に言い聞かせる。
お金がないからではなく、お金が減る瞬間に、心まで不安になってしまうからだ。
だから、中国の内需問題を理解するうえでもっとも大事な問いは、GDPではないのかもしれない。
人々は今、お金を使ったあとの未来を、どれくらい信じられているのだろうか。
もしかするとこの問いは、中国経済に向けた問いであると同時に、今日を生きる私たち自身にも、そのまま返ってくる問いなのかもしれない。
文章:My Language Trip
イラスト:My Language Trip (AI-assisted)