外国語がつまらなくなったのは、難しかったからじゃない
外国語

外国語がつまらなくなったのは、難しかったからじゃない

試験科目になった外国語がなぜつまらなくなり、また面白くなったのかについてのエッセイ

My Language Trip ·
0/0 セクション

9歳の頃、アメリカの街並みで外国人に話しかけようとする場面

9歳のとき、アメリカで道を歩いていた。向こうから外国人が歩いてくるのが見えて、私は叔母の袖を引っ張った。

「あの人に話しかけてみたい。なんて言えばいい?」

叔母が短いフレーズをひとつ教えてくれたので、私はそれを何度かつぶやいてから、本当にその人のところへ行って話しかけた。

今考えると少し不思議だ。私はかなり人見知りする子どもだったのに、外国語で知らない人に話しかけることは、なぜか怖くなかった。むしろ、さっき覚えたばかりの言葉を口にすると、目の前の人がそれを理解して反応してくれることが面白くて仕方なかった。

たぶんあの頃の私は、英語を「勉強している」とは思っていなかったのだと思う。知らない言葉を使って知らない人と話してみる。ただ、それ自体を楽しんでいた。

試験科目になったら、つまらなくなった

教室で試験用紙に向かう生徒の様子

ところが、学校に入ると外国語との付き合い方が変わった。英語は点数になり、日本語も試験科目になった。何を伝えたいかよりもどれが正解なのか、話して通じることよりも間違えないことを考える時間が増えていった。

成績は悪くなかった。でも、外国語はだんだん面白くなくなった。

長い間、私は単純に「勉強だからつまらないんだ」と思っていた。でも高校を卒業してから外国語をもう一度始めてみると、意外なほど簡単に興味が戻ってきた。

そこで初めて気づいた。私は外国語そのものが嫌いになったわけではなく、言葉を使う理由がなくなっていただけだった。

試験がなくなると、代わりに「この人と話してみたい」「この国のことをもっと知りたい」「この文章を自分で読んでみたい」という理由が戻ってきた。そうなると、同じ外国語でも不思議なくらい違って見えた。

だから、教材より先に人を探した

教材より先に、外国語を使って話せる相手を探す様子

日本語をもう一度勉強し始めたとき、最初にしたのは教材を買うことではなかった。ペンフレンドやネイティブの先生を探して、まず実際にその言葉を使える相手をつくった。

もちろん文法を勉強しなかったわけではない。基礎文法は自分で一気に整理したけれど、そのあとは本を読むだけで勉強するより、実際に人と話す時間のほうがずっと面白かった。

知っている表現が数えるほどしかなくても、意外と会話は続いた。そして、自分が覚えた言葉を口にして相手がそれを理解してくれるたびに、「本当に通じるんだ」と嬉しくなった。

その経験を重ねるうちに、外国語を続けるには、勉強法だけを考えていても足りないのではないかと思うようになった。

効率よく単語を覚える方法や、文法を理解する方法を探すことももちろん大切だ。でも同じくらい、その言葉への興味を失わないための何かを、自分なりに持っておくことも大切だと思う。

映画を見ることかもしれないし、旅行することかもしれない。好きな本を原文で読むことかもしれない。それは人によって違っていい。

私の場合、それが人だった。

その言葉を話す人と出会い、自分が覚えた言葉で実際に話してみる。昨日まで教科書の中にあった表現で笑ったり、自分の考えを伝えたり、相手のことを少し知ったりする。その瞬間、外国語は勉強する対象ではなく、本当に使う言葉になる。

考えてみれば、それは9歳のときにアメリカで知らない人に話しかけたときから、ずっと変わっていなかったのかもしれない。

外国語を続けるために必要だったのは、私にとって特別な勉強法だけではなかった。

その言葉を、また使いたいと思える理由を持ち続けることだった。

外国語をまた使いたいと思える理由を持ち続けること

文:My Language Trip
イラスト:My Language Trip (AI-assisted)